2002年01月11日

クローンについて2

再びクローンの話であるが、ここでは倫理問題について語ってみたいと思う。
主にキリスト教圏で反対されるクローンだが、その批判の理由は、生命を生み出すのは神のみに許された領域であるからだと言う。であるならば、これまで行われてきた牛や羊のクローンも反対しなければならないハズで、もちろん実際に反対はしているのだが、それが法規制にまでは至っていないというのも事実だ。では何故人間のクローン問題にだけ過敏に反応するのか。

神の問題は詭弁にすぎなくて、本当は、自己の存在の尊厳が脅かされるのが不快だからに過ぎない。つまり、食物連鎖の長、地球生命の覇者として君臨してきた自負と選民意識のもと、我が世の春を謳歌してきた人類が、自分らと同等の能力をもった生命が誕生することへの危機感、不快感こそが、人間のクローンへの批判になっているのだ。
だが、ぶっちゃけて言うと、問題は上記のような心情の問題ではなくて、もっと現実的な話にある。
鼠、羊、牛、猿とクローン技術が向上してきたが、いずれも人間の管理下に置いておける危険性のない生物で、問題があれば隔離することも、殺してしまうことも容易だ。しかし、これが人間になると簡単にはいかない。自分たちと同等の知能を持った生物にはより困難な問題を起こされる可能性は大きいし、問題や欠陥があっても、殺すといった容易な処分は出来ない。マスコミを始め、多くの人々に注目を浴びるクローンの存在は、隠蔽することも有耶無耶にすることも不可能だからだ。人道に反する行為は、それがなまじ自分たちと同じ顔で同じ言葉を話す生物なだけに、世論がそれを許さない。世論の高まりは、政府への批判に発展しかねない。
クローン産業が発展すれば、大きな経済効果が期待できるが、その為にクローンは大量に生み出されるようになるだろうし、そのすべてに管理や監視の目を向けることは非常に困難になるだろう。こうした新技術が犯罪と結びつくことは避けられない。法の網の目をかいくぐってあらゆる裏稼業が横行し、どんな問題を引き起こすか知れたものではない。
問題は、クローンの側にもある。彼等に人類と同等の能力がある以上、自分等の権利を主張するようになることは容易に想像できる。『鉄腕アトム』や『猿の惑星』で描かれたように、高度な知能と感情を有するものが、モノや奴隷扱いにいつまでも甘んじているとは考えられないからだ。大量に生み出されるクローンは日常に放つことはかなり危険である。人種差別の生み出す泥沼の抗争には、我々は黒人問題で十分懲りているハズだ。
政府にとっては、クローン産業による経済効果というメリットよりも、新たな社会問題を巻き起こしかねないリスクの方が大きい人間のクローンは、何としても阻止する必要があるのだ。