2006年06月17日

実写版デスノート

実写版デスノート

今日の『王様のブランチ』で実写版映画の特集をやっていた。
藤原竜也という配役ですでに不安要素は充分だったが(っていうか初めっから期待などしてはいなかったのだが…)、六法全書を投げ捨てるシーンがあり、これを見た瞬間、「ああ、これはダメだな」と思った。
結局キラを藤原竜也にした時点で、繊細な内面性を表現しようという思惑が感じられ、この監督は原作を理解していないのではないかと思っていたのだが、六法全書を投げ捨てるシーンでその予想が正しかったことを確信した。

『デスノート』の魅力とは、夜神月という天才青年のその迷いのない強靭な精神力と高い知能指数に支えられた行動力である。彼は自らの理想を現実化できる能力を与えられ、水を得た魚のように躍進するが、およそ凡人が惑わされてしまう、権力欲や物欲、恋愛、家族愛などの何事にも決して揺るがされることがない。誰も彼に追従することができないその痛快とも言える行動に魅了される。そしてそんな彼の前に現れる最大のライバル。読者は嫌が応にも興奮せずにはいられなくなってしまう。

ところがどうだ。凶悪犯が司法の網をかいくぐって平然としている様を見て、六法全書を投げ捨てるなんて行動は、それまで信じていたものへ対する怒りや失望の表現であり、その反動で殺人という狂気へ走る主人公への共感を誘おうという意図が垣間見える。そんな主人公はこれまでもあった平凡な主人公像に過ぎない。

最近こうした人気マンガの実写化が多いが、人気があるから儲かるだろうくらいの短慮で製作しているかのような心ない作品が多いように思われる。製作者は、本当に原作のファンで、実写化させたいという熱意を持って製作しているのか疑問だ。まず、そもそも何故実写化させなければならないのか、その発起点にすら疑問を感じてしまう。やっぱ金儲けなのかなぁ?
実写化するなら作品的に原作超えるのを最低条件にして欲しいものだ。

見てもいない映画にこれだけの批判をするなどということは、普段のオイラなら決してしないのだが、これはちょっと腹に据えかねたので、思わず書いてしまった。