2007年05月29日

『300』の歴史的事実

ちょっと興味を持ったので調べてみた。
初期知識では、スパルタがわずかな兵でペルシアの大軍侵攻を食い止めて玉砕したという程度。

ダヴィド作「テルモピュライの戦い」
上はダヴィドが1814年に描いたものだが、裸体に赤いマントなど、『300』がこれを参考にしたのではと思われる要素が見受けられる。

テルモピュライの銅像スパルタ兵の銅像

この戦いは世に「テルモピュライの戦い Battle of Thermopylae」と呼ばれるもので、ヘロドトスの『歴史』の記述に従えば、両軍の兵力差は以下の通り。

【ギリシア連合軍陸戦部隊:合計 5,200】
300 スパルタ重装歩兵
500 テゲア兵
500 マンティネイア兵
120 オルコメノス兵
1000 アルカディア各都市の兵
400 コリントス兵
200 プレイウス兵
80 ミュケナイ兵
700 テスピアイ兵
400 テバイ兵
1000 ポキス兵

【アケメネス朝ペルシア陸戦部隊:合計 210,000】
170,000 歩兵
8,000 騎兵
2,000 その他
30,000 ヨーロッパより参加の歩兵

映画でうたっている300vs100万というのは大げさにしても、5千200vs21万という兵力差は圧倒的過ぎる。

紀元前480年8月…
ギリシア各国は、ペルシア遠征軍の侵攻を知り、イストモスで会議を開催。
ペルシア艦隊をアルテミシオンで、クセルクセス本隊をテルモピュライで迎え撃つことを決議するも、この年オリンピアの開催があり、これを理由に多くの国が戦争に参加しなかった。
ギリシア連合軍は、テッサリアから中央ギリシアに抜ける幹線道路で最も狭い所で15メートル程度の幅しかないテルモピュライの地に陣を置き、クセルクセス1世率いるペルシア本隊を待ち構える。
クセルクセス1世は、その兵力差のためにギリシア連合軍の撤退を信じて静観するも、5日目になると業を煮やして全軍に進撃を命令。先陣を切ったメディア軍は被害を拡大させたのみでギリシア連合軍を打ち破ることができず、2日目にはヒュダルネス率いる不死部隊を投入するも、尚ギリシア連合軍はこれを持ちこたえた。
クセルクセスは焦りを見せるも、地元民の内通者からの情報で迂回路であるアノパイア間道の存在を知って、夜間不死部隊をこの間道に向かわせる。翌朝、不死部隊はギリシア軍の背面に展開することを得る。
3日目未明に、ギリシア連合軍はアノパイア道からのペルシア軍の進軍を知って会議を開き、撤退を決議。諸都市の兵4000を先に逃亡させ、スパルタ重装歩兵とテバイ、テスピアイ兵のみが戦場に残ってペルシア軍を迎え撃った。
ペルシア軍に包囲されたスパルタ兵たちは、必死の抗戦を続けるもレオニダス王は戦死。遺体はペルシア軍に奪われ磔にされる。スパルタ兵は王の遺体を取り返すため猛然とペルシア軍に挑み、壮絶な戦闘の後、遂に王の遺体の奪回に成功。
その後、兵の数を減らしながらも抗戦。戦いは最後の兵が倒れるまで続いた。
この戦闘で、ギリシア連合軍の被害はスパルタ兵全滅を含め1千以上、ペルシア軍は2万の兵を失ったと言われている。
テルモピュライでペルシア軍を食い止め時間を稼いだことで、アテナイの市民に非難させる余裕を与え、アテネ海軍にペルシア軍を海上で迎撃させる態勢を整えることを可能にし、これが後にサラミス沖の海戦での勝利の要因となった。その後ペルシアによる欧州への侵攻は途絶えたことから、アジアから欧州の危機を救った英雄として、テルモピュライで玉砕した300人のスパルタ兵は今だに絶大な評価を受けているという。

スパルタ人についても言及してみよう。

スパルタは、ドーリア人による軍事都市国家で、スパルタ人は自らを「ラケダイモン」と呼んでいたという。
彼らの先祖は、紀元前10世紀頃にギリシャ北方からペロポネソス半島に侵入し、先住民アカイア人を征服。さらに時を置かずに西の隣国メッセニアを征服。征服した土地はすべてスパルタ市民に均等配分され、征服した先住民は奴隷(ヘイロタイ)として農業に従事させた。5万人程度の人口であったスパルタ人に対し、ヘイロタイは約15〜25万人もいたと言われており、この被征服民の反乱を抑圧すべく、スパルタは市民皆兵主義が導入され、幼少時より戦士としての訓練を受けた。
子供は国のものという考えの下、生まれた子供は長老に調べられ、虚弱者は山奥の洞穴に棄てられ、健康な者のみ育てることを許された。男子は7歳になると親元から離され軍の駐屯地にて共同生活を送り、軍事教練を旨とした集団教育を受ける。この中では、子供達をわざと飢えさせ、畑や大人たちから食物を盗むよう仕向け、捕まると容赦のない体罰を与えるが、狡猾さと俊敏さを身につけさせるためにこれを奨励したと伝えられる。12歳からは肉体的訓練及び戦士としての心構えを叩き込まれ、この過程で肉体に障害を持った者は殺され、将来強靭な戦士となる見込みのある者のみが残された。いわゆる「スパルタ教育」というわけだ。こうして18歳になると成人となって、60歳で兵役免除となるまで兵役に従事することとなる。
国政においては、アギス家とエウリュポン家の2王家より2人の世襲の王が並立し(レオニダス王はアギス家)、これに60歳となり兵役免除となった者の中から選出された28人の長老が加わった長老会、さらに全市民参加の民会によって、毎年5人の監督官が30歳以上の市民の中から選出され、王を含む全市民に対する監督権と司法権を保持したという。
スパルタ人は質素倹約を旨とし、一切の貴金属製装飾品の所持を禁止。戦場で臆病とみなされると、社会から謀殺され、顎髭の半分を刈り取られた姿で生きることを強要された。

炎の門—小説テルモピュライの戦い
炎の門—小説テルモピュライの戦い